夢酔獨言  勝 夢酔       夢酔独言  勝 小吉

勝 左衛門太郎 惟寅(麟太郎 海舟 の父)は隠居して夢酔と称した。
幼名小吉、勝小吉として知られる41俵2人扶持の小給御旗本であった。
その生き様は、剣術遣い にして江戸下町の顔役とでも云うべき不良旗本、
十六歳になっても己の名さえ まともに書けず、幕臣として御奉公する事もなく、
女郎買と喧嘩三昧に明け暮れた大胆不敵の無頼漢、なのに情けに深い一面も。
こんな親父から何故、海舟が生れ育ったのか、或はこんな親父だからこそなのか。
【夢酔獨言】は四十を超えた夢酔が俺を反面教師にしろと子々孫々に残した自叙伝。

夢酔の鶯谷庵は これまで推考されていた台東区の鶯谷ではなく、霞ヶ関鶯谷にあった(筈)。
更には定かでなかった、本所南割下水の山口鉄五郎から借家して住んだ住居跡も明らかにした。

雑誌 [舊幕府]に初めて掲載されたが沢山の誤読があり、多くの流布本が誤読に盲従している。
夢酔は副題【鴬谷庵獨言】の後に序文を置き 本文は【氣心色勤身】が題の短歌で書き出している。
【左衛門太郎入道 夢酔老】 及び 【夢酔道人】 と署名していて、当然ではあるが【勝小吉】ではない。
 




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