【鵜殿甚左衛門】 うどの じんざえもん

駿河台スヾキ坂
千代田区神田駿河台4−6

   忠也派一刀流の遣い手、家録300石の御旗本、
   鵜殿甚左衛門長快(ながよし/ちょうかい)。 鵜殿
   式部長衛(ながもり)の惣領。文化6年、徳川家慶
   正室・喬子の御用人。文化8年に御広敷御用人。
   文政2(1819)年11月没。
   その養子惣領は日米和親条約に調印した一人の
   鳩翁鵜殿甚左衛門長鋭(ながとし)で隠居していた
   幕末には新撰組前身の浪士隊責任者にも就く。

 

【聖堂】  


文京区湯島1−4

   江戸時代の湯島聖堂の敷地は今の2倍位あり、
   医科歯科大学の東半分もその敷地であった。


【櫻ノ馬場】 さくらのばば

文京区湯島1−5

   聖堂の西に隣接し、湯島馬場とも云った。
   嘉永6(1853)年、ここに鋳造所がつくられ、
   洋式の大砲などが製造される。
   現在は医科歯科大学病院がある。


【大久保勘次郎忠貞】 (右図白抜)  

駿河台袋町  680石、小普請


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