【出生地】 不詳

  夢酔は 「おふくろの内で生れた」 と記すが、「おふくろ(父・男谷平蔵の妾)の家」 は
  その所在地が不詳なので、 出生地を油堀とするのは根拠に欠ける。   

  静岡の蓮永寺にある勝義邦虔撰の父母碑(海舟の母・信の墓)は、
  「先考諱惟寅称左衛門太郎享和壬戌月日生于東京駿台」とし、駿河台の生れと記すが、
  父の実母(祖父・平蔵の妾)の家を海舟が捜し出したとは考え難いし、平蔵一家が一時
  転居した駿河台太田姫稲荷前の若林龍之助屋敷と取り違えたのではなかろうか。
  (一体が父の生れた月日すら不詳である。享和壬戌は1802年)


①【深川油堀】 江東区佐賀町付近

  幼児期から歳(1809年)まで (正確な場所は不明)

隅田川東岸沿い、下之橋から木場に至る運河・十五間川の通称である油堀川、亦
その周辺の地名。 元禄年間に掘られた運河で物資の運搬が盛んだった。現在の
佐賀町、福住町の両岸には特に油問屋が多く、緑橋の南西には油商人会所もあり、
油堀河岸とか油堀と称された。
出生後、平蔵の家に引き取られ幼年期を過ごすのが、「深川のあぶら堀といふ所」、
亦、「庭に汐入りの池が有」ったと記すが、その正確な場所は不詳。

油堀は堀川と云う名で1970年代半ばまで残っていたが1976年に埋め立てられ、
1980年にはその上に首都高速9号深川線が開通した。

           油堀(堀川)の埋立跡には首都高深川線が走る                   隅田川の左上に油堀(上図)と、跡地を走る首都高(下写真)




 平蔵屋敷跡としては左図の白で囲んだ小栗検校の地面が気にかかる。
 油堀そばの数少ない町家でない土地であるのと、検校つながり、7歳の
 時に大喧嘩した干鰯場(永代場。ここと云う確証はないが)も近くにある。
 汐入りの池の有無は不明だし確たる根拠は何も無いが、気にかかる。









 



表紙へ 戻る

inserted by FC2 system