翌日、「先づ伊勢へ行って身の上を祈りてくるが良かろう」 と云う故、貰った米と麦 三升計り
銭五十文ほどを亭主に礼心にやって、夫それから毎日々々乞食をして伊勢大神宮へ参ったが、
夜は松原 又 川原 或は辻堂へ寝たが、蚊に責められて ろくに寝ることも出来ず、つまらぬざま
だっけ。

伊勢の相生の坂にて同じ乞食に心易くなり、そいつが云うには、
「龍太夫と云う御師の処へ行って、『 江戸品川宿の青物屋大坂屋の内より抜参りに来たが斯くの
 次第故、留めてくれろ 』 と云うがいゝ。そうすると向うで帳面を繰りて見て泊める」 と教えてくれた。
  御師おしはここでは、参詣者の案内や宿泊所を営む神宮神職で、御祓札や伊勢名物を全国に配り、
  お伊勢参りを宣伝した。龍太夫は江戸か少なくとも品川周辺の担当であったのであろうか。
  抜参りぬけまいりは、親や店主に無断で大神宮参拝に出る旅で、帰っても罪にしない習慣であった。
  路銀を持たず沿道で喜捨を受ける お伊勢参りを、御蔭参りと呼び江戸時代に流行した。

龍太夫の内へ行って、中の口(玄関と勝手口の間の出入口)にて其通り云ったら袴を着たやつが出て、
帳面を持って来て繰り返し繰り返し見おって、「奥へ通れ」 と云うから 恐々通ったら六畳ばかりの
座敷へ俺を入れて、少し達って其男が来て 「湯へ這入れ」 と云うから久し振りで風呂へ這入った。
あがると「麁末そまつだが御膳を喰え」 と色々うまいものを出したが、これも久敷ひさしくは無いから
腹いっぱい やらかした。

少し過ぎて龍太夫が狩衣かりぎぬ=江戸時代の礼服 にて来おって、
「能ようこそ御参拝なされた。明日は御札を上げましょう」 と云う故、俺は唯 「はいはい」 と云って
辞宜じぎばかりしていた。夫から夜具 蚊帳など出して 「お休みなされ」 と云うから寝たが心持ちが
良かった。翌日は又々馳走をして御札を呉れた。

そこで俺が思うには、とてもの事に(いっそついでの事に)金も借りてやろう と世話人へ その事を
云ったが、先の取次をした男が出て来て、
「御用でござり舛ますか」 と云うから、道中にて護摩の灰の事を云い出して、
「路銀を二両計りばかり貸して呉れるよう頼む」 と云ったら、
「龍太夫へ申し聞かせ」 とて引っ込んだ。 少し間が有って俺に云うには、
「太夫方も、御覧の通り大勢様の御逗留故、なかなか手(が)廻りませぬ故、余りに軽少だが是を
 御持ち下さるよう」 とて、壱貫文銭千文=実960文、約1/5両 呉れた故、夫を貰て早々逃げ出した。


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